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「ぶらり歌碑巡り」タイトル

アカデミア青木

http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-43.html
ラジオ版・ああ我が心の童謡〜唱歌編
http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-50.html
ラジオ版・ああ我が心の童謡〜童謡編
まぼろし放送にてアカデミア青木氏を迎えて放送中!

碑

第51回 『待ちぼうけ』

 日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『待ちぼうけ』です。
 僥倖を当てにして無為に時を過ごす愚かさを歌った、『待ちぼうけ』。幼い時にはそんな事など意識せず無邪気に歌っていましたが、最後の「寒い北風、木の根っこ」というフレーズまで来るといつも寂しい感じを受けました。この歌の作詞者は北原白秋。作曲者は山田耕筰。前回の『からたちの花』と同じコンビです。



『待ちぼうけ』(大正12年2月、満州教育会の依頼により作曲。歌詞は、白秋の童謡集『子供の村』 アルス社 大正14年5月 より[『白秋全集26』岩波書店 昭和62年 に収録])
 作詞 北原白秋(きたはらはくしゅう、1885−1942)
 作曲 山田耕筰(やまだこうさく、1886−1965)

 

碑

 

 待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  ある日、せっせこ、野良かせぎ、
  そこへ兎が飛んで出て、
  ころり、ころげた
  木のねっこ。

 待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  しめた。これから寝て待たうか。
  待てば獲(え)ものは駆けて来る。
  兎ぶつかれ、
  木のねっこ。

 待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  昨日鍬とり、畑(はた)仕事、
  今日は頬づゑ、日向ぼこ、
  うまい伐り株、
  木のねっこ。

 待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  今日は今日はで待ちぼうけ、
  明日は明日はで森のそと、
  兎待ち待ち、
  木のねっこ。

 待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  もとは涼しい黍畑、
  いまは荒野(あれの)の箒草(ほうきぐさ)*
  寒い北風、
  木のねっこ。

 

碑

 通常、私達は「待ちぼうけ、待ちぼうけ。ある日、せっせと、野良かせぎ〜」と歌い出しますが、大正14年に初めて出版された詞を見ると、「せっせと」とが、「せっせこ」になっています。一方、大正12年の山田耕筰の曲譜には「せっせと」とあり、両者の間に食い違いが見られます。その原因は定かではありませんが、昭和5年に白秋の全集(アルス版)が刊行されると、問題の箇所は「せっせと」に改められています。
 ところで、白秋は詞の終わりに、「これは満洲の伝説です。満洲の教育会用童謡として作つたものです」と注を入れていますが、この伝説に似たお話が中国の古典の中に記録されています。戦国時代の思想家・韓非(紀元前3世紀に活躍)が著した『韓非子』の中に、次のような一文があります。
 「聖人とは、昔にとらわれ、一定不変の基準に固執する者ではない。聖人とは、現在を問題とし、その解決をはかる者をいうのである。
 宋の国である男が畑を耕していた。そこへウサギがとびだし、畑の中の切株にぶつかり、首を折って死んだ。それからというもの、彼は畑仕事はやめにして、毎日切株を見張っていた。もう一度ウサギを手にいれようと思ったのだ。しかしウサギはそれきり。彼は国中の笑い者になったという。
 昔の聖人のやり方のまねで、現在の政治ができると思っている者は、この切株を見張った男の同類である。」(『韓非子』五蠹篇より)
 同じ切株を見張る男の話ですが、満洲の伝説(→『待ちぼうけ』)では、「僥倖を当てにして本業を捨て、無為に時を過ごす愚行」を戒めるために示され、一方『韓非子』では、「世の中の変化に対応せず、古い成功例を墨守する儒学者の愚かしさ」を譬えるために示されています。『韓非子』に出てくる「宋」は、黄河と揚子江に挟まれた淮水(わいすい)という川の中流にあり、紀元前8世紀頃建国されました。宋でこの話が成立した時期は特定できませんが、少なくとも韓非が活躍していた紀元前3世紀までには出来ています。それから長い時間を経て、中国周辺の民族にも伝播し、満州の伝説となったのでしょう。兎が切株にぶつかって首を折るシーンは、「ころり、ころげた 木のねっこ」と穏当な表現に変えられていますが、これはもしかすると「教育会用の童謡を作ってほしい」と依頼を受けた白秋が、手心を加えた結果なのかも知れません。
 さて、この歌の歌碑は白秋の故郷、福岡県柳川市にある通称「白秋道路」の傍らに建てられています。白秋は中学へ通う際に掘り割り沿いの道を利用しましたが、それは自宅から学校まで13度曲がる道でした。地元ではそのうち、鬼童(おにどう)橋から藤平門(とへもん)橋に至る区間を「白秋道路」と呼んで整備しています。当時は「男女14歳にして道を同じうせず」という教えが実践されていたので、同じ市内の柳河高女生にとってこの道は”通学禁止路”でした。碑は白秋道路沿いにある「十時邸(とときてい)」という武家屋敷の前に、掘り割りの方を正面にして立っています。歌詞は台座に刻まれ、その上には株の傍らで兎を待つ子供の像が据えられています。道路側からは見にくいので、水路を船で行く機会がありましたらじっくりとご覧下さい。

十時邸

十時邸

* ホウキグサ アカザ科の一年草。中央及び西アジア原産で、中国を経て古く我が国に伝わる。高さ約1メートル。赤色を帯び細かく多数に分枝。夏、穂状に黄緑色の小花が開く。茎を乾燥させて草箒を作り、果実は強壮・利尿薬にする。秋田では果実を「とんぶり」と呼ぶ。

船溜まり

[参考文献

『白秋全集26』岩波書店 昭和62年

与田準一編『日本童謡集』岩波文庫 平成元年(36刷)

松枝茂夫・竹内好監修『中国の思想1 韓非子』経営思潮研究会 昭和39年

「白秋道路説明板」

『広辞苑 第三版』岩波書店 昭和58年の「ホウキグサ」の項]

場所:福岡県柳川市新外町 十時邸前
交通:西鉄柳川駅より西鉄バス「早津江」行きバスで「お花前」バス停下車、徒歩20分


2006年11月16日更新
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