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第17回 1969年(昭和44年)


アポロ11号,コント55号,巨泉・前武のゲバゲバ90分

 「1969年の話題といえば、何といってもアポロ11号が月に着陸したことだね。月面からのテレビ中継を見るために、カラーテレビを買う人が急増したんだよ。当時は、カラーテレビ普及の初期で、カラー番組だと画面にカラーの表示がされていたんだ。カラーが当り前になった現在は、モノクロ映画が放映されると、逆にモノクロ表示が出ているけどね。テレビの新規購入において、カラーテレビが51%、白黒テレビが49%と逆転したのが、この年だった」
 「カラー番組って少なかったの?」
 「海外ドラマやアニメ、歌番組、ワイドショーはカラー化されていたけど、国産ドラマはまだ少なかったね。『無用ノ介』が日本テレビの最初のカラー時代劇だったくらいだからね。民放の日本最初のカラー時代劇が『無用ノ介』より1週間早く始まったフジテレビの『大奥』(新シリーズ)だった。『無用ノ介』は、真っ赤な夕陽に顔が照らされるシーンとか、カラーを意識した演出がされていたね」
 「『無用ノ介』って人気があったの?」
 「それが、それほどでも。家庭の大半が白黒テレビだった当時、カラーを意識した演出は逆にコントラストがはっきりせず、ボヤけた感じになり、カラー演出がマイナスになったような気がするね。それと『無用ノ介』の放送は野球中継(NTVだから巨人戦)と重なっており、野球のない時だけ放送されるという変則的なもので、時代劇ファンは裏番組の『素浪人花山大吉』を支持していたね。野球ファンでも、時代劇ファンでもない人たちが見ていたのが『コント55号の世界が笑う』だった。コント55号は当時絶対的に人気があり、彼らが出演する番組はどれも高い視聴率を誇っていたんだよ。中でも『コント55号の裏番組をブッ飛ばせ』は凄かった」
 「過激な題名ね」
 「題名だけでなく、内容も過激でね。ジロウさんが女性タレントと野球拳をするんだが、女性タレントが負けるたびに着ているものを一枚ずつ脱ぐんだよ。宴会で大人がマネをしただけでなく、子供たちまでがマネをして、不良番組として非難が集中したけど、視聴率は29%を超え、人気は高かったね」
 「低俗なお笑い番組……」
 「おなじ笑いを取るにしても、『巨泉・前武のゲバゲバ90分』はレベルが高かったね。毎回100本ものショートコントが演じられるんだ。それも、30人の放送作家や作家予備軍から出てくる2000本のアイデアから500本を選び、さらに100本に絞り込んだ選りすぐりのネタだったからね」
 「アッと驚くタメゴロ〜」

参考資料:テレビ50年(東京ニュース通信社)、テレビ史ハンドブック(自由国民社)


2005年12月1日更新


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