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ノスタル爺

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第2回 1954年(昭和29年)


柳家金語楼,ゴジラ,紅孔雀

 「スポーツ中継以外に、テレビが放送開始された時、どんな番組が人気あったの?」
 「やっぱり、テレビでないと楽しめない番組かな。テレビ放送開始の昭和28年から43年まで放送されたNHKの『ジェスチャー』なんか、その典型だろうね」
 「言葉が通じない時に、身振り手振りで外人に説明する……」
 「そう、そのジェスチャーをクイズゲームにしたんだ。男女4人づつが二チームにわかれて、視聴者から公募した問題を、身振り手振りで表現し、当て合う男女対抗ゲームだった。男性軍のキャプテンが柳家金語楼で、女性軍のキャプテンが水の江滝子。この二人だけが毎週固定で、後のメンバーは各界の有名人がゲスト出演していた」
 「どんな問題が出ていたの?」
 「当時の時代背景や流行を盛り込んだものが多かったね。“電気掃除機に吸い込まれて、中でもがいているノミ”という問題は、電気掃除機が一般家庭に普及しはじめた頃だったと思うし、“墓場で骨まで愛し合っているガイコツの夫婦”というのは、城卓也の『骨まで愛して』という歌が大ヒットした頃だった」
 「表現力に差が出る……」
 「キャプテンの柳家金語楼と水の江滝子は、さすがに巧かったね。ゲストでは、コメディアンが総体的によかった。ダメだったのが、二枚目スターとスポーツ選手。“オレだったらこうやるのに……”と、心の中で思いながら見ていたよ」
 「単純だけど、ラジオでは絶対できない番組ね」
 「ラジオでできないといえば、54年に始まった日本テレビの『シルエットクイズ』もそうだろうね。資料によると、映画や芝居の主人公の扮装をした人物のシルエットを、スクリーンプロセスを使って映し出し、それを解答者に当てさせるクイズ番組だったそうだ。寄席中継も、ラジオだと落語と漫才しか放送できないけど、奇術や曲芸も楽しめるようになった」
 「特撮番組も……」
 この頃は、まだ録画技術がなくて生放送ばかりだった。フィルムを使ったドラマもなかったからね。特撮といえば、映画の『ゴジラ』だね。アメリカがビキニ島で行なった水爆実験でマグロ漁船の第5福竜丸が放射能の灰を浴びた“死の灰”事件や、ソ連の水爆実験で新潟地方に降った雨から放射能が検出されたりと、水爆に対して国民が恐怖を持っている時に、水爆が生んだ怪獣・ゴジラが登場したんだから、大評判となった。特撮技術も優れていて、マジでゴジラが怖かったよ。ラジオでは新諸国物語の第三部『紅孔雀』が前年の『笛吹童子』以上の人気を集めていた。まだまだ、映画とラジオが娯楽の中心だったね」

参考資料:テレビ史ハンドブック(自由国民社)、テレビ50年(NHKサービスセンター)


2004年4月26日更新


第1回 1953年(昭和28年)
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