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ノスタル爺

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第6回 1958年(昭和33年)


月光仮面

 「月光仮面って、知っている?」
 「テレビが生んだ、日本で最初のヒーローでしょう。名前だけは知っているわよ」
 「その『月光仮面』が始まったのが1958年でね。それまでのドラマといえば、スタジオセットの生放送だったけど、これはフィルムを使用したテレビ映画だったんだ。月光仮面がパッと跳び上がると姿が消え、オートバイに飛び乗っていたり、屋根の上に現れたりと、カッコ良くってね。今からみると単純な特撮ばかりだけど、当時の子供たちは胸を躍らせていたんだよ。月光仮面の真似をして、高い所から飛び降りてケガをする子供もいたけど、それだけ夢中になっていたんだね。月光仮面のロケに出てくる風景も、自分たちの身近に似たような所がイッパイあって、現実感があったしね……」
 「テレビ映画のメリットを十二分に活かしたわけね。だけど、それまで誰もテレビ映画を制作しようと考えなかったのかしら」
 「1957年にKRテレビ(現TBS)が夕方6時〜6時10分、月曜から金曜までの帯番組で放送していた東京テレビ映画が制作した『ぽんぽこ物語』が国産初のテレビ映画なんだけど、人気は今イチだった。それに制作費がかかりすぎるということで放送中止が決まり、この番組に広告代理店として参加していた宣弘社が後番組の制作を引き受けることになったんだ。宣弘社の小林社長は、渡米した折りに『スーパーマン』などのテレビ映画が大人気だったので、勧善懲悪の鞍馬天狗の現代版的ヒーローものをやろうということになったんだが、当初の10分番組1本の予算はたったの10万円でね」
 「テレビ映画の費用って、どのくらいなの?」
 「当時のアメリカのテレビ映画が30分番組で700万円くらいだったそうだから、常識的に考えればムチャクチャ。そのため撮影はオール・ロケで、セットの代わりに小林社長の家が使われたそうだよ。応接間が祝探偵事務所、ガレージがどくろ仮面のアジトといったふうにね。出演者のギャラを抑えるために主演は東映の大部屋俳優だった大瀬康一で、どくろ仮面の手下は宣弘社の社員だったそうだ。だけど、大瀬康一はこれで一躍人気スターになったんだ。その後、10分番組から30分週1回番組になって制作費も70万円にアップしたそうだけど、やっぱり安いよね」
 「『月光仮面』って、どのくらい人気があったの?」
 「東京地区を対象に行った1959年7月の視聴率の調査によると、1週間597番組中、42.2%という高視聴率で8位となっている。だけど、この月に番組は終了しているんだ。“子供がマネをしてケガをした”とか、“暴力を奨励している”とか、“教育上好ましくない”といった声が、親や教師、それに世の識者から出てきて、世論に負けた形でね。だけど、『月光仮面』の成功によって国産テレビ映画の真価が認められ、映画からテレビ時代が到来するかのように、松竹、大映、東映といった映画会社がテレビ映画を制作するようになったんだよ」

参考資料:テレビドラマ全史(東京ニュース通信社)、宣弘社ヒーローの世界(双葉社)


2004年12月10日更新


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