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「第二小学校」タイトル

日曜研究家串間努
第30回
「夏休みの宿題
どっさり、
『夏休みの友』は
昔からあるぞ」
の巻
夏期学習帖

夏休みの友 伝統的な夏の宿題のひとつに「夏休みの友」という勉強ノートがある。これは長期休暇中の小・中学生に向けて、自学自習用の補助教材として開発されたものだ。印刷された夏休み学習帳は明治末期にすでに出ている。日記帳兼用で学習問題が掲載されているものであったが、まだまだ当時の各学校は科目別に宿題を出し、普及はしていなかったという。大正時代になると「夏季学習帳」(研文館)「暑中学校」(文林堂)「夏季学習帳」(富田屋書店)「ナツヤスミノトモ」(文運堂)「自学自習 夏季練習帳」(積善館)らが発行され、学校単位で買い上げられるようになった。大正後半になると一日一ページの日記併記はなくなった。そして一日一科目に限らず複数科目が掲載されるようになり、解答欄が広く取られている。昭和一桁に入るとカラー化された。戦時中は軍国主義的な要素が取り入れられ、昭和一七年からは文部省国民教育研究所が夏休み帳を発行するようになった。このころのものは国家が読み物として与えるタイプで児童が書き込む欄がなかった。
戦後は学習参考書メーカーの発行というよりは各都道府県毎に編集されており、発行は府県の教育会や教職員組合となっている。

夏休みの友 その起源はこうだ。「昭和二十三年のころ、全道的な傾向として、現場の教師たちが児童、生徒の生活経験に即したものを与えて学習のおさらいに便ならしめようとして、各受持ち教師が各個に研究をし、自主的にガリ版印刷などをして、夏冬休みの期間受持ちの子供にこれを与えて学習の助けにしていた。そのことが各種の会議で話題になり昭和二十六年の冬、教師の研究と編集によって冬休み学習帳を作ろうではないかということが組合の文教部で決定した」(昭和三十年の衆議院行政監察特別委員会における北海道教職員組合中央執行委員長の説明)

 この決定をするに至った直接の動機となったのは、学習指導要領一般編でこれまでの中央が決めた画一的教育が批判されたことで、地域の社会の特性や、学校の施設の実情、児童の特性に応じ、それぞれの現場で事情にぴったりした内容と方法で行うことが指導要領に沿うことだと考えたからだ。それで分散的に試みられていた実践をまとめ、多くの教師によって組織的に編集をする方針で夏休み帳を作った。
 昭和三十年にはちょっと教職員組合の作成する夏休み帳が問題となったことがあった。
夏休みの友 北海道におけるワーク・ブック、副読本、夏冬休み帳等は当時、北海教育評論社が独占していた(ワーク・ブックは八〇%、夏冬休み帳は一〇〇%)。夏冬休み帳の編集は北海道教職員組合文教部同各地区支部文教部であった。発行部数は夏休み帳七十九万部、冬休み帳七十七万部、計百五十六万部で定価三十円。北海教育評論社これを北教組支部に二十二円でおろし、北教組支部ではこれを二十七円で各学校に渡した。五円の利潤は編集取材費、編集員の旅費、学力テストの費用、教師用等に支出しているというが編集費に充当するのは妥当ではないという批判。学校側は定価通り三十円で児童に販売、一部につき三円の収入。使途は貧困児童用及び教師用の休み帳代、集会等の際の茶菓代等に消費している。この休み帳は、東京都における都教組出版のものに比較して倍額。ワーク・ブック、副読本などの編集者は、すべて北海道で教職に従事している教師の団体、北海道中学校学習指導研究会、北海道各市小学校長連合会、北海道社会科教育連盟等。編集者が直ちに採択者となっている関係上、他の発行会社の入り込む余地がない。北海教育評論社は北海道の教職員や児童、生徒に独占的に高い印刷物を売りつけていると批判されたのだ。

なつやすみのがくしゅう

 以前、昭和二十三年時でのネーミングを調べたことがあるが、やはり「夏休みの友」がダントツに多く県によって、「夏休み」「夏の生活」「夏の友」「夏休み帳」「夏のこども」などバラエティに富んだ名前が付けられている。
 戦前のものはA5版の小型のもので、日記帳がベース。日付や天気を書き込むとともに、毎日の課題が書いてあり、それを回答するかたちで一日一回は机に向く習慣をつける。戦後、昭和四十年代から大型化し単なる問題集と異なって朝顔の葉っぱを張り付けたり、塗り絵があったりと、手先を動かす楽しみが工夫されていた。だが子どもたちは本来の趣旨を没却して、八月二十日過ぎにあわて始めまとめてダーッとやるのがオチなのだが。また、絵日記や、課題図書を読んでの読書感想文は特に苦痛で、「今日はあつかったです」の羅列だったり、あらすじを書いてマス目を埋めたりと、暑いのに冷や汗を流している八月下旬のドタンバであった。

なつやすみのテキスト

なつやすみのテキスト

書き下ろし


2006年7月27日更新


第29回「算数セットの歴史をひもとく」の巻
第28回最近見ないな「百葉箱」と「焼却炉」の巻
第27回「理科室のガイコツは夜うごく」の巻
第26回「戦後の教室の風景」の巻
第25回「通知表とはなんだったのか」の巻
第24回「学級文庫」の巻
第23回「純潔教育と初潮映画」の巻
第22回「便所掃除と学校ウンコ」の巻
第21回「おかあさんありがとう(母の日のカーネーション)」の巻
第20回「赤、青、黄色、緑、水色、黒の羽根」の巻
第19回黒板の英語名は「ブラックボード」の巻
第18回「ビニール名札を推理する」の巻
第17回「夜動く、二宮金次郎像」の巻
第16回「体育館の屋根、なぜかまぼこなの?」の巻
第15回学校暖房「ストーブ」の巻
第14回「授業参観」の巻
第13回「カラーハーモニカ」の巻
第12回「木造校舎は消え、鉄筋校舎が建っていく」の巻
第11回「遠足のしおり2つ」の巻
第10回「あのブルマーが消えていく」の巻
第9回「遠足の水もの」の巻
第8回「小さな小さな遊び」の巻
第7回「高級模様入お化粧紙ってナンすか」の巻
第6回「コビトのチューブチョコはパチンコ景品のリサイクル」
第5回「給食のカレーシチューの謎」の巻
第4回「牛乳のフタとポン」の巻
第3回「何のためにあったか「腰洗い槽」」の巻
第2回「幻灯機」の巻
第1回「ランドセルランランラン」の巻


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