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「第二小学校」タイトル

日曜研究家串間努

第22回「便所掃除と学校ウンコ」の巻


 小学校三年生の時、友達のK君は、学校帰りにうんこをしてしまった。そのK君は学校でおしっこを漏らしてしまった、同級生の女の子を散々からかって帰途に向かう途中にうんこをもらしてしまった。臭いに気づいた別の友達が、「おまえうんこをもらしただろう!」とといかけると、「いやうんこなんてしてない」といい続けていた。私も彼がするはずないと思っていたが、お尻を触ると、棒状の柔らかいものが確認された。

 掃除用のクレンザー一本全部とサンポールを五本使って一つの男子便所を掃除したら次の日トイレの床は真っ白くなり、壁は色がすべてはがれてしまっていた。先生に怒られたが私はなぜこうなったかその時には、わからなかった。

 小学校のときに朝から掃除をする時があった。私と私の友達は便所当番だったんだか、男子便所と女子便所を掃除する事になった。しかし、その朝から断水だった。その事を知らないで便所掃除しようと思ったんだけれども、いざ蛇口を開いてみると水が出ない。これは男子便所も女子便所も同じだったんだが、その時女子便所を掃除している友達が大きな声で私を呼んだ。女子便所個室七箇所か八箇所あったと思うが、その中便器には全てウンコがしてあった。男子は学校の便所ではウンコをしないというのが通例になっていたため、全部の個所でウンコがしてある女子便所を見たときに友達は非常にショックをうけていた。女子は個室に入るからわからないのかと変な事で納得した。

 ある日、クラスでうんこをもらした奴がいた。彼は授業中に突然手をあげ、「先生、うんこをもらしました」と言った。先生は保健室に行くことを提案したが、「いえ、着替えてきます」といい、そのまま走って家まで帰り、着替えを済ませ教室に戻ってきた。彼のそんな姿にわけのわからないすごさを感じた。

 男子トイレで大便をするということは、恥ずかしいことだという奇妙な常識があった。だから個室で用をたしている人間は当然からかわれた。個室のドアの上から、馬鹿にされたり、エスカレートすると水をかけることもあった。しかし、そんないたずらを全く気にせず、うんこをしている所を覗かれながら、自分のうんこが出そうな時から出る瞬間、出た後までを細かく解説する奴がいた。彼はうんこ座りをしながら、自分のうんこについて解説し、みんなを楽しませた。
 
学校便所の歴史

 明治三十二年の小学校設備準則改正では、小学校の便所について、別棟として、井戸から四間は離すこととしている。また、注壁、尿溝という言葉が見えることから、陶器製の小便器はなく、開放された空間に溝が掘ってあり、酸やアルカリに耐える素材の壁に向かって小便をしていたものと見られる。男子一〇〇名につき大便所は二個所、小便所は四個所ということになっている。

 便所の掃除は、教育上の見地(公共物を大切にする、衛生教育)から子どもたちにさせるのが一番であるが、昭和三十一年に調査したデータでは回答二十三校のうち七校は用務員または特別に掃除者を雇って便所を掃除していた。用務員が掃除している学校は農山村漁村ではなく都会地の学校に集中しており、特に大阪市内では昔から不文律として児童に便所掃除をさせないという伝統があったというからオドロキだ。これらの小学校が児童に便所掃除させない理由は小学生ではまだ幼く、不潔なところを徹底的に衛生的にはできないということである。

 多くの学校では「自分たちが汚したところは児童自身で清潔にするべきだ」という観点から児童に便所掃除を励行させていたが、そういえば私の学校では職員便所や職員室、校長室まで児童に掃除させていたが、それらはいったいどのような意味合いを持つものだったのだろう。なお昭和三十年代の便所掃除は基本的に水拭きあるいは逆性石鹸をつけた雑巾で拭うだけであり、月に数回のみ教師が塩酸で掃除する程度だった。三十年代の終わりから取り扱い上の難点から塩酸にとってかわって清浄剤が使用されはじめた。

 昭和三十年に長野の小学校で児童に便所掃除当番について採ったアンケートがある。その結果をみると、便所掃除を「好き」とした児童は一人もいないが、意外なことに「好きでもきらいでも」なく、「普通と変わりない気持ちでしています」と回答した児童が一番多かった。
 興味深いのは、児童が便所に行く時間は昭和三十年の長野、昭和三十八年の岐阜の両調査ともに、二時間目が終わったら行くという回答が一番多い。これは朝食を食べた七時ころから数時間後に小用を催すという生理現象が共通しているのであろう。
 
 また、昭和三十年代初頭までは水洗化が進んだ都会地以外ではし尿の汲み取りも悩みのたねであった。児童数が五百名を超えれば、相当なし尿量になり(一人一日一リットルとして一日五百リットル。一ヵ月二十五日で一万二千五百リットル、約七千升である。一斗缶で七百個なのだ)、便槽を広げるか、近隣の農家に何度も汲み取りを頼むかしなくてはならない。実際、便槽が狭くて便器から便があふれたり、雨水が混じったり、地下水が汚染されたり(当時は井戸水使用が多い)が問題となっていた。学校下の農家に頼むにしても、し尿の需要と供給がマッチしているとは限らない。そのため村の資金で各戸に肥溜め桶を設置したところもあった。PTAが汲み取り作業をしている地域も多かったという。ハエの防止も問題で、窓枠に金網を張ったり、便壷を暗くしたりするなどの対策が採られていた。
 
 便所を水洗にするというのは学校衛生上からも早く実施しなければならない急務であったが、岐阜県を例にとると昭和三十八年の時点でもまだ九〇パーセントの小学校が汲み取り式であった。

 昭和三十年に小学校の便所に関する面白いアンケート結果がでている。なぜ便所を汚してしまうのかというと、男子児童の多くは、小便をがまんしすぎてあせって小用を足したためと、よそみ・おしゃべりをしたためという理由がもっとも多いのだ。なにしろ調査先の四年生男子児童一八四名の五四パーセントは、使用中「他の児童と話をしながら」という姿勢である。「だまって下をむいて」は二三パーセントだけだ。そして男子児童の四〇パーセントは、便所を自分で汚したことに気がつかず、そのまま素通りしているという。

※参考:佐藤平八郎「児童はなぜ便所をよごすか」信濃教育、昭和三十年一月号)。

書き下ろし


2005年6月21日更新
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