「まぼろしチャンネル」の扉へ
「番組表」へ 「復刻ch」へ 「教育的ch」へ 「東京カリスマch」へ 「日曜研究家ch」へ 「あった、あったch」へ 「再放送」へ 「ネット局」へ
子どもの頃の大ギモン掲示板
懐かし雑貨店「アナクロ」
ノスタルジー商店「まぼろし食料品店」
思い出玩具店「昭和ニコニコ堂」
チビッコ三面記事
「秘密基地」の時代
まぼろし第二小学校
珍商売あれやこれや
秘宝館
掲示板
マガジン登録
メール
まぼろし商店街
まぼろし洋品店

「第二小学校」タイトル

日曜研究家串間努

母の日のカーネーション第21回「おかあさんありがとう
(母の日のカーネーション)」の巻


 母の日が近づくと、私が出た小学校では、紙で作った赤いカーネーションの造花が配られたものだった。安全ピンで胸に留められるようになっていて、リボンには、「おかあさんありがとう」と書いてある。クラス担任から半強制的に買わせられたその造花ブローチを、赤い羽根のように自分の胸元に留めるのか、母親にあげるのかどうか迷ったものだった。聞くところによれば、お母さんがいない子は白いカーネーションを胸につけさせられた学校もあったという。当時の発案者は良い社会運動だと思ったのだろうが、子どもにとっては毎日の生活の場である学校社会に、家族の関係を持ち出される行事ほど迷惑なものはなかった。

 そもそも日本における母の日の外来起源は諸説ある。明治四十五(大正二年説も)に全国のキリスト教会の行事として行われた説、大正四年に青山学院のアレクサンダー女史が紹介した説、それから、昭和十二年に森永製菓が提唱したという説もある(なんでこんな簡単なことがわからなくなっちゃうんでしょうね)。

 世界的には大正三年に米のウイルソン大統領が五月の第二日曜日を母の日と正式に定めてから。もともとは明治四十年に北米のウエブスター町に住んでいたアンナ・ジャービスが母の三回忌に友人を招待してティーパーティーを開催、墓前にカーネーション一束を備え、自分の胸にも白いカーネーションを飾った。「生きていようが亡くなっていようが、みんな母を尊敬しなくてはいけないわ」と思ったアンナは「母の日」制定の運動を始め、政治家に手紙を送って、大統領の決定をみたのだ。
 
 日本で全国的に盛んになったのは昭和三〇年から。郵便友の会、母の日中央協議会、こどもの日中央協議会共催で、赤白のカーネーションと「お母さんありがとう」のはがきを全国の中、小学校に配ったのだ。

 母の日の普及にはこの造花カーネーションが貢献している。全国未亡人団体協議会が未亡人会や母子寮の授産所(職業訓練所みたいな所)で赤(母のある子)、白(母のない子)のカーネーションを作り、全国に売りさばいて資金を作りはじめたからだ。だが色で区別を付けることは「童心を傷つける」という声があがった。特に義母に育てられた子はどちらか迷う場合があり、昭和三十五年からは赤に統一された。
 
 昭和三十一年の時点では「母の日中央協議会」が一手に販売を引き受けていた。ところがふつうの造花会社が作って売り出したため、協議会が反発するという問題にもなった。
 東京都の場合は、内職の一例で一週間で千四百個作って七百二十八円の工賃だったという。一個一円二十銭の工賃は他の内職よりも三倍高かったそうで、「カーネーションさんありがとう」という皮肉も生まれた(ただし実際には間にはいった団体などが手数料や運賃経費をとる)。
 
 一円三〇銭が原材料(ただし都内の原材料業者は「これではもうけがでない」と嘆いている)、一円二十銭が工賃で運送費が八〇銭で合計原価は三円三〇銭。これを一〇円で販売するが、儲けのうち一円は販売者に、五〇銭が製作した団体へ、二円が母の日都協議会加盟一〇団体の行事費へ、そして利益の約半分の三円二〇銭が母の日都協議会の収入になり「母の日大会」の行事費に使われたという。地方では業者がはいらずすべて全国未亡人団体協議会が材料を買い求め各県に発送、各県の未亡人たちが製作と販売を行い、利益は優良母子家庭の表彰費や母子家庭慰安会費などに充てられた。

 ところで、戦前に母の日がイマイチ普及しなかったのは、キリスト教主唱だったという宗教的側面が時節柄合わなかったことと、すでに学校では教育勅語により父母への孝を教導されていたからであろう。
 戦後、教育勅語が廃止されてからの日本は、親孝行という倫理観のより所さえ母の日・父の日という形でアメリカから取り入れたのである。

書き下ろし


2005年5月6日更新
ご意見・ご感想は webmaster@maboroshi-ch.com まで


第20回「赤、青、黄色、緑、水色、黒の羽根」の巻
第19回黒板の英語名は「ブラックボード」の巻
第18回「ビニール名札を推理する」の巻
第17回「夜動く、二宮金次郎像」の巻
第16回「体育館の屋根、なぜかまぼこなの?」の巻
第15回学校暖房「ストーブ」の巻
第14回「授業参観」の巻
第13回「カラーハーモニカ」の巻
第12回「木造校舎は消え、鉄筋校舎が建っていく」の巻
第11回「遠足のしおり2つ」の巻
第10回「あのブルマーが消えていく」の巻
第9回「遠足の水もの」の巻
第8回「小さな小さな遊び」の巻
第7回「高級模様入お化粧紙ってナンすか」の巻
第6回「コビトのチューブチョコはパチンコ景品のリサイクル」
第5回「給食のカレーシチューの謎」の巻
第4回「牛乳のフタとポン」の巻
第3回「何のためにあったか「腰洗い槽」」の巻
第2回「幻灯機」の巻
第1回「ランドセルランランラン」の巻


「日曜研究家チャンネル」の扉へ