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「第二小学校」タイトル

黒板

日曜研究家串間努

第19回黒板の英語名は「ブラックボード」の巻


 私が小学生のころは黒板が木製から、スチールへと切り替わる過渡期であった。そのため、掃除の時間は、担当教室の黒板が板なのか鉄なのかを判別する必要があった。ホントかどうか知らないが、スチール製の黒板を水拭きすると、「サビる」といううわさがあったのだ。だが、スチール製黒板を水で濡らしたぞうきんで拭きあげると実に奇麗になる。白墨の汚れがピカピカに一掃されるのだ。私たちは、その美しさに幻惑され、「いけないんだ〜」と女子が注意するのもいとわず、せっせとスチール黒板を見つけては拭きあげるのであった。乾燥も早い。乾いたらすぐに黒板に向かって右側に、今日の日付と、今週の目標、日直当番の名前を白墨で書き込むのが快感であった。それは降り積もった雪が広がる広場に初めて足を踏み入れるときの「一番はじめの汚し」の喜びのようなものだった。

黒板

 日本における黒板の歴史は江戸時代末期にさかのぼる。安政二年(1855年)には長崎の海軍伝習所で「黒板」を使用していた。寺子屋では石盤にうるしなどを塗った「塗板」が使用されており、石井研堂の『明治事物起原』によれば、文久三年(1863年)に、開成所(洋書調所を改称)の教官である神田孝平が、黒板を自分で製作したという。

 そして明治五年頃、教育制度のスタートと同時に、大学南校(現在の東京大学の前身)の米人教師となったM・スコットが、「ブラックボード」を日本に持ち込んだという。このブラックボードが直訳されて黒板となった。

 国産化されるのが明治七年頃。日本らしく製法は、墨汁を塗った上に柿の渋を塗った黒板が製造された。すでに明治一〇年頃には全国の学校に黒板が広まっていたという。

 黒板の板面が黒色から緑色に変わったのが黒板のJIS規格が制定された昭和二九年ころ。白いチョークが黒い板に反射してみにくい、緑が目の保護のためによい、白黒では縁起が悪い、合成塗料が開発されたという複数の理由で、黒からグリーンに変わってきた。その後、板ではなく、スチールの黒板も導入され、磁石の力でいろいろなものを張りつけることが可能となっていった。いまでは純木製の黒板はないのだろう。
 だが、黒くもないし、板でもないけど「黒板」の名は残っている。

黒板

戦後黒板・黒板拭きの年表

昭和23年 富士黒板製作所「パスター」発売。石盤、黒板にも書けるパステル
昭和23年 キング堂製作所「アサヒ黒板」発売
昭和25年 中村隆一黒板拭製造所「黒板拭」発売
昭和30年 中央産業株式会社「保健黒板拭」発売。黒板拭にスリットを入れ粉の飛散を防止
昭和31年 島村商事「島村式黒板ふき掃除器」発売。箱に入れてハンドルを10秒ほど回すだけ
昭和32年 株式会社林商店、水溶性黒板塗料「学窓」発売
昭和32年 女神インキ工業株式会社「水溶性黒板塗料ヴイナス」発売
昭和33年 羽衣文具株式会社「スポンヂ入ラークル」発売。中身がスポンヂ、生地がテレンプの黒板消し
昭和34年 日本白墨工業株式会社「天神白墨用スポンジ入黒板拭」発売
昭和34年 寺崎製作所「静電黒板拭 エレクトワイパー」発売。チョークの粉をエボナイト板で吸着
昭和37年 ラッキー刷子本舗「ラッキー刷子(大百円、小六十円)」発売。水洗いできる黒板拭き
昭和37年 海商スヱ電機株式会社「特許SUE式黒板拭吸粉機二万三千五百円」発売。学校用
昭和38年 伊藤大株式会社「スチール黒板」発売。アメリカより技術導入したホーロー銅板スチール黒板。従来の木製黒板はスイスから輸入されていたもの
昭和38年10月 ライト黒板製作所「木製黒板」発売
昭和38年10月 ライト黒板製作所「スチール黒板」発売
昭和38年10月 ライト黒板製作所「掲示板」発売
昭和38年10月 ライト黒板製作所「吸着マグネット」発売
昭和39年 株式会社リコー「リコーボード」発売。スチール製黒板
昭和39年 株式会社リコー「リコーカラ−(黒、赤、白3色セット50円、黒、赤、白、青、橙、緑の6色セット100円)」発売。水溶性高分子物質に特殊着色剤をねり合わせ、クレヨン状に固形した描画材。水で濡らした布、スポンジで拭消できる。黒板・スチール黒板で利用可
昭和39年 日本白墨工業株式会社「特許水洗式ハイラーフル(大100円、中80円、小60円)」発売。スポンジ式黒板拭きで水洗は初
昭和41年10月 羽衣文具株式会社「湿式黒板拭 羽衣ウェットイレーザーセット(1800円)」発売
昭和43年3月 日学スチール黒板株式会社「回転装置のついた両面移動脚付黒板 U2型」発売
昭和43年4月 羽衣文具株式会社「羽衣スポンヂラーフル・デラックス(黒板消)」発売 ポリ台を使用
昭和44年11月 株式会社内田洋行「トーホースチール黒板」発売
昭和44年1月 コーリン鉛筆株式会社「紙黒板」発売 特殊樹脂加工を施したもの
昭和44年8月 日学スチール黒板株式会社「ニチガクカラーボード」発売 粉が立たない黒板
昭和44年8月 日学スチール黒板株式会社「マーカーD」発売 新描画材
昭和45年8月 日本白墨工業株式会社「最新型黒板拭き 天神ハイイレザー(大型/120円、中型/80円)」発売 台はプラ製、拭く部分はスポンジゴム製で水洗い可能
昭和46年11月 銀鳥産業株式会社「黒板拭 ギンポーラーフル(大120円、小100円)」発売 台はプラ製
  ※鹿児島では「黒板拭き」のことを「ラーフル」という 宮崎・愛媛でもいう。語源は、幕末・明治初期の蘭学の中で用いられたと推測されるオランダ語の”rafel”と考えられる。”rafel”は、「こすること、撒糸(ホツシ)ニシタル、ほつれ糸、リント布」という意味。
昭和47年6月 株式会社青井黒板製作所「U&Dスライダー黒板(昇降黒板)」発売
昭和47年6月 株式会社青井黒板製作所「アオイ・スチールマックス(スチール黒板)」発売
昭和43年4月 羽衣文具株式会社「羽衣スポンヂラーフル・デラックス(黒板消)」発売 ポリ台を使用
昭和46年11月 銀鳥産業株式会社「黒板拭 ギンポーラーフル(大120円、小100円)」発売 台はプラ製

「はるか」を改稿


2005年4月4日更新
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第18回「ビニール名札を推理する」の巻
第17回「夜動く、二宮金次郎像」の巻
第16回「体育館の屋根、なぜかまぼこなの?」の巻
第15回学校暖房「ストーブ」の巻
第14回「授業参観」の巻
第13回「カラーハーモニカ」の巻
第12回「木造校舎は消え、鉄筋校舎が建っていく」の巻
第11回「遠足のしおり2つ」の巻
第10回「あのブルマーが消えていく」の巻
第9回「遠足の水もの」の巻
第8回「小さな小さな遊び」の巻
第7回「高級模様入お化粧紙ってナンすか」の巻
第6回「コビトのチューブチョコはパチンコ景品のリサイクル」
第5回「給食のカレーシチューの謎」の巻
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