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日曜研究家串間努 第28回
「アトムシールの誕生の謎を探る」の巻


『マーブルチョコレート』 『鉄腕アトムシール』と鉄人28号ワッペン。この2つの懸賞玩具は、これだけで一冊の単行本になるほど(綱島理友氏が成書にしています)、同時代人のアツイ注目を集めた秀逸なアイデア『懸賞玩具』だ。今回は、明治製菓にて『鉄腕アトムシール』を『マーブルチョコレート』のなかに入れたご本人、伴正治郎さんに取材、なぜあれほどの大ヒットになったのかを聞いた。

子ども菓子の世界で、懸賞玩具戦争勃発!

 昭和20年代がキャラメルの時代だとすると、昭和30年代はチョコレートの時代であった(昭和35年にココアバターなどチョコ製造の原料の輸入が自由化されたのも、チョコ伸長の原因である)。森永『フィンガーチョコ』、グリコ『アーモンドチョコ』、不二家『ペンシルチョコ・パラソルチョコ』など、いまも買えるロングセラーはすべて昭和30年代生まれなのだ。

 明治製菓は、まず、パッケージが斬新な『ミルクチョコレートデラックス』を昭和32年に出し、続いて日本で始めて、チョコの中にオレンジやパインなどのフルーツクリームを封じ込めた『JPチョコレート』を昭和34年に発売した(「JP」のネーミングは「日本における草分け」を意味するJapan Pioneer の頭文字をとったという。フルーツペースト入りのチョコが、どんなものか想像できない若い読者は、不二家の「LOOKチョコ」を思い出してください)。なお『JPチョコレート』の『懸賞玩具』は「ワンワンプレゼント」という世界の名犬子犬のプレゼントであった。

『パレードチョコ』 そして昭和36年、『マーブルチョコレート』を円筒形容器で発売すると、翌年、森永製菓が『パレードチョコ』で対抗、ここに糖衣チョコレートの戦いが開始されたのであった。火蓋を切ったのはまずは森永。明治が「マーブルちゃん」こと5歳の上原ゆかりを出演させた日本初の5秒スポットCMを打ち、広告賞を総なめにし広告業界から「明治製菓の時代」と賞賛されたのに対し、森永はパレードチョコに「動くバッチ」をつけたのだ。動くバッチとはバッチそのものが動き出すのではなく、見る角度によって、マンガキャラクターなどの表情や絵柄が変化するもの。ツクダヤが販売した『ダッコちゃん』(製造:宝ビニール工業=現:タカラトミー)の目玉がウインクするシール、「ワンダビュー」と同じ原理だ。かまぼこレンズのステレオシール。たったそれだけのこの懸賞玩具によってたちまち森永は優位に立った。糖衣チョコでは明治のシェアが85%あったのが20%くらいまで低下したほどである。明治は昭和38年元旦から日本初の連続長編アニメ『鉄腕アトム』の独占スポンサーとなったこともあり、森永に応戦するため『マーブルチョコレート』に『鉄腕アトム』のシールの封入作戦を展開、これが起死回生の大ホームランとなった。

『鉄腕アトムシール』はこうして生まれた

『パレードチョコ』 『パレードチョコ』は箱型で、どんな形の懸賞玩具でもすぐに封入することがことができる。しかし『マーブルチョコレート』は筒型という斬新なカタチが懸賞玩具の面では足を引っ張ることになった。狭くて玩具をいれるスペースがないし、食品であるチョコレートと直接に玩具が接するわけにはいかないのだ。そこで明治では「紙、ぺらモノを使おう」という発想になった。もちろん印刷物も裸のままで菓子と接触することは食品衛生法で禁止だから袋に入れることにする。公正取引委員会の規制で懸賞玩具の価格は2%に抑えられているから30円の価格に対しては60銭しか使えない。コストを軽減するためにもシールを『懸賞玩具』にするにはうってつけだったのである。

手紙の封印シールがヒント?

 伴さんにはロサンゼルス在住の友人がいた。彼からくるエアメールにはリターンアドレスがシール状のもので貼ってあった。そのシールはノリが封筒にべったりと付着するものではなく、手ではがそうと思うときれいにはがれる。当時の日本には存在しない、『エマルジョン形式』のノリが使われていたのだった。エマルジョンとは、乳濁液のこと。液の中に混じりあわない他の液体が微細粒子となって、分散、浮遊している混合物だ。シリコーンエマルジョンは剥離紙や化粧品など幅広い分野で現在は活用されている。
 エマルジョン形式ではないノリを使用してシールを作ると、断裁したあと経時変化でノリが染み出してきて固まってしまう。また、冷蔵庫や茶たんすに貼ると、ノリ跡が残って汚い。明治製菓はインキ会社、印刷会社と相談し、半年くらいかけてようやくエマルジョン形式のノリを使用したアトムシールの開発にこぎつけたのだった。

アトムシール大人気!

「おれ、ゴリラ」  「応募数が大変多く、郵便局の車が何台も会社の前に並んで袋を下ろしたものです。たった30円のチョコなのに年間100億円は売上がありましたよ。私はこのシールが当たったので宣伝部に引き抜かれました。もちろんパレードチョコとの差は完全にひっくり返しました。アトムシールをきっかけに、キャラクターのマーチャンダイジングが注目され、当社と森永、グリコが三つ巴になって昭和40年代のおもちゃ合戦がはじまったわけです」
 その合戦で陣頭指揮をとっていたのが伴さんだ。なにしろこれまで350種類の懸賞玩具を開発したというのだから言葉もない。有名なところでは「悟空のきんそう棒」「おれ、ゴリラ」や「くたくたジャガー」などがある。
 実は指揮といってもグリコは35人の布陣で『オマケ』を開発していたが、明治では伴さんただ一人が担当だった。先輩もいない、過去のノウハウがあるわけではない。ないないづくしでの孤軍奮闘だ。
「オマケにシールが入ったお菓子はそのころはありませんでした。そして鉄腕アトムのシールだったから子どもたちは喜んだのでしょう。いつもテレビで見ているあのアトムのシールが入っているチョコレートだ!と。これがウケた原因です。いまはモノがあふれていますから、モノ(懸賞玩具)で歓心を集めるのは難しい時代ですね」と、『子どもの懸賞玩具の王様』の分析は悲しいほどに正鵠を射ている。
 昭和40年代、明治は石坂浩二(テレビなんでも鑑定団でおなじみですね)が『チョコバー』を「痛快、まるかじり」のコピーでヒットさせ、タイガースのCMは、森永『エールチョコ』の宣伝「大きいことはいいことだ」を圧倒し、「チョコレートは明治」というキャッチフレーズを定着させていく。大人路線に呼応するように昭和45年ころから『懸賞玩具』合戦は下火に。伴さんは昭和49年の「あるまじろチビマジロプレゼント」を最後に陣頭から身をひいた。
 そして関連会社のロンドに移り、子ども菓子開発の大活躍がはじまるのだが、紙面も尽きたようなのでそれはまたの機会のお楽しみに。

公募ガイド社の懸賞情報サイトに掲載した文章を改変しました

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2007年2月14日更新
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