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第18回子どもには辛かった
「ロッテクールミントガム」の巻

日曜研究家串間努


ペンギンの絵 子どもの頃、親と出かけるといつもガムを買ってもらっていたが、父と母とでは、買ってもらえるガムが違った。
 コンビニが普及していない昭和四十年代前半にはまだあちらこちらにガムの自動販売機があった。母と出かける銭湯の帰りには、駅のショッピングセンターにあるハリスガムの自販機で、バナナやパインが盛られた果物カゴが描かれている「フレッシュフルーツガム」を買ってもらった。
 父と散歩に出かけたときはロッテガムだ。タバコ屋さんの窓口で父はショートピースを買い、私には扇型のディスプレー容器から「クールミントガム」を選んでくれた。ペンギンの絵が描いてあるクールミントガムを一枚ほおばると、辛くて熱くてたまらない。ピリリと来る刺激感でなかなか噛めないでいる私がいくら「大丈夫、全部食べられるよ」と抵抗しても、父は「どれ、一枚よこせ」と何度もいってはほとんど食べてしまうのだった。

 自分のこづかいで買うのはチューインガムというより、「フーセンガム」だった。三枚入って十円。友達同士でどっちが大きくふくらませるかを競争したりした。包み紙にも遊びの要素があり、鉛筆でこすったり水に漬けると絵が浮き出てくる紙と透明転写シール、そして景品が貰える点数券の三枚セットだった。甘くて、良い匂いのするフーセンガムを噛みつけている私には、クールミントガムはあまりにも禁欲的で、かつそれが魅力だった。タバコの銀紙と共通する銀色の包み紙が、「大人の世界」をイメージさせ、背伸びしたい気持ちが「平気だよ」と言わせていた……。

 ロッテがクールミントガムを発売したのは昭和三十五年六月。それまでのガムは甘いものが多かったが、もっと特化したものを作ろうという気運がロッテ社内にみなぎっていた。
「ある会議のときに黒板にペパーミントの強さの段階をメモ書きしていまして、そのとき『黒板に書いた範囲ではだめだ。もっとずば抜けたものを開発しよう』ということでグローバルな視点で考え、『南極』というイメージが出てきたそうです」(ロッテ商事株式会社)。

クールミントガム
クールミントガム
クールミントガム
クールミントガム
クールミントガム
クールミントガム
クールミントガム
クールミントガム

 日本を飛び越え、南極をイメージするきりっと辛口なガム、クールミントガムの誕生だ。この開発のバックボーンには、昭和三十一年に南極学術研究隊に同社が納めたガムのことも頭にあったらしい。味は年々砂糖を押さえて、清涼感を強く打ち出している。
ブラックブラック 同社のグリーンガムが「エチケット」を訴及しているのに対し、クールミントガムは「リフレッシュメント」効果をうたう。昭和五十八年には眠気防止のガムとして「ブラックブラック」を発売したが、それまでのドライバー向け眠気防止機能を持っていたのがクールミントガム。春と秋の交通安全運動でサンプリング(見本配布)もしていたという。

 ガムを噛むことで脳血流が活性化し、頭がハッキリするが、緊張をほぐすのにもいい。大リーグの野球選手がグラウンドでガムを噛んでいるのもその効果を狙ったものだ。最近の研究では花粉症にもよさそうだということがわかった。「十年前ころに『ガムを噛みだしてから花粉症がよくなりました』というおたよりがきたことをきっかけに、帝京大と研究を始めました」。
 花粉症の患者にペパーミントのガムを与えたところ、六割くらいが改善したというから、スギ花粉が多く飛んでいる年は、クールミントガムを噛んでみるのもいいかも。

 六枚入り二十円でスタートしたが今は十枚入り百円。昔は包み紙すべてが同じデザインだったが、今は一枚だけ違う。「それを引いたら今日はラッキーという遊び心ですね」ラッキーパッケージはペンギンが五匹並んでいるデザインだが、右から二番目だけが手を上げているのに気がついてた人はエライ。

ガムの10年周期

 コンビニのレジ前にはガムが並べられていることが多い。今、見渡すと『キシリトール』入りがウケているようで、緑色の「X」の文字が目に飛び込んでくる。
キシリトールガム 血糖値を上げず、歯垢を作らない『キシリトール』の人気は高いが、この商品名は登録されており、ロッテしか使用できない。同社は1997年に日本でに最初にキシリトールガムを製品化した。
 そういえば、虫歯になりにくいガムとして『トライデント』が日本に上陸したのが20年前だ。これにヒントを得て調べてみると、ガムの歴史では10年ごとに大きなできごとがありそうだ。
 まず1947年に重光武雄氏がガムの製造を開始、翌年法人化しロッテを興す。
 その10年後、ロッテはその後のガムの形態を決定したといわれている『グリーンガム』を出した。それ以前から二〇円売の板ガムはあった。しかしそれらには主流製品となるほどの影響力はなかった。グリーンガムは40年たった今も不動の売り上げを誇る。ガム市場の大半が粒ガムでもマーブルガムでもなく、板ガムなのはグリーンガムの成功のためだ。ロッテは、米兵が葉緑素の外傷をいやす効果を、外科方面に利用していることを知っていた。そこで殺菌作用と臭気を消す作用をチューインガムに応用するに思い至る。後にグリーン歯磨きなどの登場を促した日本初の葉緑素製品だ。
変わり種ガム この5年後の昭和37年頃から製菓大手が進出しガム市場の競争は激化。仁丹も野球ガムやうめぼしガムで売り上げを延ばし、一時は本業の仁丹よりもガムの占める割合が大きかった。『しょうが』や『干しぶどう』などの変わり種ガムを出していたのは和風イメージの同社ならではで面白い。
 グリーンガムの10年後にはグリコが子ども向けに『スポロガム』を出す。ところで「スポロ」って何だ?。
 「スポロ乳酸菌のことですよ」(グリコ広報部)セシルとかパピコなど3文字のネーミングが多いから何だろうと思っていたが、直球勝負であった。ガムに自動車などの型が抜いてあることに私らは驚いたものだったが、発売当初は無地。
トライデント シュガーレス競争が起こったのがその10年後。1977年の「トライデント」だ。薬局で売っており、『薬です』と言い張れば授業中に噛んでても先生に叱られなかったのはウチの中学だけか?
 グリコが60年代に板ガムをどんどん発売していたことを覚えているだろうか。なぜか70年代から80年代にかけてはちょっと鳴りを潜めていたが、1987年に『キスミントガム』を投入すると若い女性の人気を得て、あっと言う間に復活を果たした。知人の女性に言わせるとカードタイプで平べったいのがイイらしい。
 その10年後が1997年のキシリトールガム。1994年頃から消費者の砂糖離れを受けてシュガーレスガム製品が相次いで投入され、シェアを15%ほど持っていたという土壌に花が咲いたようだ。こうして見るとガムの話題製品は10年周期で発生していることがよくわかる。

毎日新聞と報知新聞を合体増補改稿


2005年11月30日更新
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