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「脇役列伝」タイトル

ヒーロー研究家立石一夫

黒い核弾頭、ルーター・レンジ


 山椒は小粒でもぴりりと辛い。体は小さくても、才能やうでまえにすぐれていることを言う。こんな言葉がピッタリのレスラーが、かつて日本プロレス界を襲ったことがある。来日第1戦いで、テクニシャンの吉村道明を鮮烈のバックドロップで眠らせたルーター・レンジである。バックドロップといえば、あまりにもルー・テーズのそれが有名だ。だが61年12月のリキ・パレスで見せたレンジの技はあまりにも豪快でありテーズを上回る威力があったように思う。
 先に来日していた”黒い野牛”リッキー・ワルドーのいとこという触れ込みで初来日したレンジは、まさに小型爆弾の異名に相応しい暴れっぷりであった。
 175センチ、103キロの小柄な肉体だが、その筋肉はどんな大男にも負けない鍛え方をしていた。

ルーター・レンジ

 ワルドー、レンジの黒人チーム対ハミルトン、エチソンの白人チームのタッグ戦は61年の暮れの日本プロレス界を大いに賑わせてくれた。白人タッグは二人共、巨漢レスラーで体格はワルドー、レンジを上回ったが気迫で負けており白人チームが押されていた。
 そして日本プロレス界の重大事件史に残る死闘が、ワルドー、レンジ組の挑戦したアジア・タッグ戦だ。翌年2月3日の日大講堂は、力道山、豊登組が敗れたことを巡り大騒動になった。判定を不服としたファンが暴動を起こす。興奮したワルドー、レンジも観客とやり合い、イスが乱れ飛ぶ修羅場と化した。
 リターン・マッチでは前王者が雪辱。見事アジア・タッグ王座を取り戻す。怪力・豊登の逆エビ固めでレンジは血へどを吐いて降参。あまりの死闘に、見ている観客も青ざめたほどだ。当時の「プロレス&ボクシング」で、アトミックが観戦記を書いていたが、「レンジの馬鹿め、もっと早くギブ・アップしていれば…」のコメントが私には印象的であった。


本名ルーター・リンゼイ。1955年にプロレス入りする前は野球、アマレス、フットボール、陸上と何でもござれのスポーツマンとして知られる。来日第1戦の強烈なバックドロップは伝説である。インド遠征で観客に左肩を切られてから精彩を欠く。72年(S47年)2月21日ワシントン州シアトルで心臓発作のため46歳の若さで死去。


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2005年1月28日更新
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