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似顔絵トランポリン・松岡

第十三回『ユーミンとセックスと鎌倉、僕の二十七歳の別れ。』


 運悪く渋谷は雨。ガラス窓の下、アスファルトの道路にぶつかる細い雨を見ながら、僕は別れを決意していた。
 喫茶店に入って三十分が過ぎてもまだ僕たちの話は弾まず、僕のカップの中のブレンドコーヒーは温く冷めて、緑に口紅の赤がうっすらついている彼女のカップを見ている僕。
 「やっぱり別れよう」、テーブルにこぼれた水を指先でキューツと押しながら、彼女が言う―――若い頃の僕の失恋話である。
 好きになってすでにセックスする関係にあってお互い結婚まで意識しながら別れた、僕の苦く曖昧な未練に終わったまるでユーミンの歌にあるような二十七歳頃の恋愛。
 健康的なテニスが趣味で何もかも僕より良い条件を持つ五歳上の見合い男の話を知らされ、どうにもならない気持ちを抱え込みながら雨の日の渋谷で別れを決意した僕。十代程若くなく大人にもなり切れない中途半端な頃の、誰にでも一度はあるような恋愛とセックスと別れである。
 恋愛に有頂天だった頃の僕たちは、渋谷か鎌倉で会うことが多かった。僕は銀座にある会社に制作部のデザイナーとして仕事を始めた頃で、お互いを意識してから一年。二人で映画をみたり食事をしたりからセックスをする関係が始まる鎌倉へのあの日帰り旅、誘ったのは僕である。
 恋愛と言うには短く楽しかった時期、二人は何となく結婚を意識しながら交際をしていた。渋谷駅横の二階にあった喫茶店で待ち合わせをして、当時は広告も話題になり大人気だったパルコや丸井、109周辺をブラブラよく歩いたものである。特に何をするわけでもなく、喫茶店でパルコの広告ポスターや映画、彼女がファンだと言う清水健太郎やユーミン、人気沸騰のピンクレディのことなどを話しながらコーヒーを飲むデート。僕たちはすぐにセックスをしたわけではない。
 思い出は二月の渋谷。喫茶店で渡された包みを開けると甘いコロンの香りがフンワリ鼻に触れて、彼女が大好きなユーミンのLPレコードをステレオで録音したと言う黒いカセットテープが、ベージュと茶のチェック柄のマフラーに添えられていた。あの頃、人気絶頂のキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」という有名なセリフを残した解散があって、彼女がもったいないネと言った記憶がある。
 七月の鎌倉、忘れられない夏である。電車を降りてしばらく歩くとガラス張りのような喫茶店が左側にある。初めてのあの日、僕たちは窓際の席でコーヒーを飲んだ。
 同じ通りにある店が、ガレッジセールのように藤籠に一人れて雑然と並べた柑色の縁どりをしたコーヒーカップセットを買って材木町の踏切を渡ると、友人が借りている庭付きの一戸建ハウスはあった。当時、アルバイトで音楽をやっている友人がいて、彼の家は小田急線の柿生にあったが鎌倉には頻繁に出るとかで彼は一人でハウスを借りていたのだ。
 セックスをするだけの渋谷のホテルとなるとどこか不経済で不似合いな感じを覚えた僕は、鎌倉の彼のハウスを借りる日帰り旅を思いついたのである。
 ソニーのカセットデッキにユーミンのテープを入れて小さく流しながら、彼女がコカコーラを二人のコップに注ぐ。わずかに窓を開けると、雑然と木々が並ぶ庭から淡い草色のカーテンをフワッと揺らす夏の風。絨毯の上でTシャツに下着姿で横になっても外はまだ明るく、どこか慣れない沈黙が切れる頃にやっと僕はキスをした。
 ムードもなく情熱の夜でもない。膨らみきった僕はブリーフを脱ぐと彼女の下着を脱がせ、マニュアル通りの愛撫を繰り返した後で体を割り込ませ、強引に体を合わせたのである。

セックスと鎌倉

 五十歳を過ぎた現在ならそんな性急なセックスは多分しない。首筋や耳、頬、瞼、乳首、唇を嘗めるようにキスを繰り返しながら絡めた僕の両脚で彼女の体をゆっくり押し開き十分濡れた花弁を確かめ静かに筒先から埋めてゆき、深く体を合わせたまま再び首筋を嘗めるようなキスもできるだろうが、若く激しい興奮の中。あの日、披女の呼吸も襞もじっとりと甘く、経験の少ない僕は腰がピキピキと音を立てるような快感に焦り余裕のないセックスだった。
 ベルギー製のような茶褐色の絨椴の上で二人の体が擦れる音と小さく速く聴こえるユーミンの声が僕の耳の側に転がり、彼女の吐く息や変化する動作の一つ一つが刺激的な、勿論、避妊する余裕もない儀式のような短いセックス。
 妊娠したら彼女と結婚しようと考えていた僕は、その後も鎌倉に出かけてはハウスを借りてセックスを続けていたが妊娠することはなく、そんな関係が始まって半年程過ぎた頃に両親も大賛成のあの良縁話が彼女に起こり、僕はあの雨の渋谷にたどり着く。
 十代の僕がみて、年上の女性とのどこか甘美なベッドでのセックスに憧れた映画「卒業」の感動的なラストシーンにはならず僕たちは別れ、季節は夏から冬になっていた。
 実は、僕の白いビストロにはカセットデッキしか付けていない。車に乗ってまで高音質を求めない中高年の僕には、ソレで十分なのである。
 あの夏の日、プレゼントされた黒いカセットテープはいつの間にかなくしたが、ボックスに投げこまれている一本に僕はユーミンを入れている。曖昧な別れに未練が残る僕の心に静かに染み込んで来たユーミンのLPレコードアルバム「悲しい程お天気」を録音したその一本を聴くことは多い。

ユーミン

 聴く度に、一年半続いた僕の曖昧なまま終わった恋愛と、鎌倉のハウスでの若く未熟なセックスが思い出され、とても甘く懐かしく、そして少し寂しい。


2003年4月18日更新


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