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第24回「セーターを編んでいた時代」の巻

日曜研究家串間努


 不況のせいか「節約生活」をテーマにした家事の本が売れているようだ。経済学的にみれば、不況だから節約に走るという短絡的思考では景気は回復しないというのに。
 確かにむかしは衣食住は家庭の中でまかなっていて、それで間に合っていた。既成服は「つるし」と呼ばれていたし、合成保存料がない時代だから食品は日持ちがせず、加工食品の種類も少なかった。
 そんな意識がまだ残っていた昭和四十年代、家の中には毛糸だまが転がっていた。確か編み針は「クロバー」というメーカーで毛糸は「スキー毛糸」というブランドだった気がする。たまにはアニメのサザエさんに登場するカツオ君のように、僕の両手は立てられ、セーターをほどいた毛糸の巻きなおしの台にされていた。これはデッサンのモデルのようにある程度じっとしていなくてはならないので、子どもにはツライ作業であった。
 近所に「毛糸のおばさん」と呼んでいた方がいて、そこに毛糸を持ちこんで、セーターを編んで貰っていた時期もある。おばさん家の縁側の廊下には編み機が置いてあった。手編みにしろ機械編みにしろ、子ども用のセーター類は自分たちでつくっていた時代なのだ。
 編み機といえば、『コメットさん』(第一次の九重祐美子の方)のスポンサーだったブラザー編み機が思い出される。オルガンみたいな横長の機械の上を、アイロンのような取っ手を右左にジャーッジャーッとスライドさせるものであった。僕の将来の夢はあの機械をジャーッと動かしたいことと、殺虫剤のスプレーを好きなだけシューッとやることだった。ブラザーのCMは今も脳裏に焼き付いていて、ちょっとでも思い出すと最後まで頭の中で繰り返さずにはおられない。ただ社名を連呼するだけという強烈なものであった。
 今、編み機がある家がどのくらいあるだろうか。スーパーの衣料品売り場にいけば大量生産のセーターが安く買える時代だ。
 第一、編み機の置き場に似合う、縁側の日だまりがもうなくなっている……。

はるかを改稿


2007年2月23日更新


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