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「ふろくの花園」タイトル

ふろく

12.キャラクター時代への
カウントダウン

加藤真名



 「愛してるぜベイベ★★ ゆずゆちゃん おしゃれレターセット(りぼん 平成16年2月号)」や「マーメイドメロディーぴちぴちピッチのピッチ手帳(なかよし 平成16年2月号)」など、今や連載漫画のキャラクター(=登場人物)のかわいいイラストであふれている『りぼん』や『なかよし』のふろく。
 少女雑誌のふろくが、少女“漫画”のふろくへと姿を変えはじめるのは昭和40年代後半からなのですが、この背景にはいったい何があったのでしょう。

 それ以前でも、「しあわせの星 アンヌちゃんの時間表つきおしゃれコンパクト(なかよし 昭和37年10月号)」「ガラスのバレーシューズ 純子ちゃんのスクールケース(なかよし 昭和41年8月号)」「マキの口笛 マキちゃんの時間表(りぼん 昭和37年7月号)」「ハニーハニーのすてきな冒険 ハニーちゃんの卓上人形(りぼん 昭和42年5月号)」に見られるように、漫画の登場人物の名がついたふろくは全くないというわけではありませんでした。まだ少女漫画はそれほど世間に浸透してなく、ふろく全体に占める数が少なく目立たなかっただけなのです。
 昭和30・40年代のふろくの予告を見るとわかりますが、当時のふろくの主流は別冊と、人気作家のイラストをウリにしたもの、人気スターや当時のブームを取りあげたもの、あとは作家や漫画作品を特に意識していない、少女が好みそうなデザインのものでした。少女向けのグッズがまだ少なく、ふろくがその役割を果たしていたこの時代、少女たちを引き付けるためには「人気のあるもの、流行っているものをふろくにする」ことがまず第一で、連載漫画の登場人物のグッズは、数多くあるふろくの中の一つに過ぎなかったのです。

ふろく

 昭和40年代に入り、このころのふろくによく使われてたイラストに、野菜や果物、ペットがありました。これも「人気のあるもの、流行っているもの」をふろくに取り入れた一つの例です。

 トマトやレモン、りんごなど台所に置いてあるものに「かわいいもの」としての命を吹き込んだこれらのふろくは、当時発売されてブームを呼んでいた、少女雑誌を卒業した内藤ルネ先生(11.あの先生のグッズがほしいを参照)がデザインしたマグカップやステッカーなどの影響も受けていたのでしょう。

ふろく

 家庭で犬や猫を飼うことは、かつてはステイタスシンボルでした。しかしこのころから主婦や子供向けにファッション・愛玩動物として飼われるようになったことで、ペットはたちまち世間の人気者になります。小犬や小猫の愛らしさは少女雑誌にはうってつけで、ふろくにも写真がたびたび使われていたのですが、次第にそれぞれが性格付けされた「かわいい」イラストへと変わっていきました。昭和42年に発売されたスヌーピーグッズが流行っていたこともあったのでしょうか。もう少しあとになるとペットの世界を舞台にした、かわいい絵柄が売り物の漫画もはじまります。この登場人物がふろくに描かれること、それがキャラクター(=登場人物)グッズがふろくに定着していくきっかけとなるのです。

ふろく

 このような、現在に近い「かわいい」イラストのふろくが増えてきたとはいっても、正直なところ、この時期までの『りぼん』『なかよし』両誌の明確な違いを感じ取ることはできませんでした。
 あくまでも当時を知らない私が創刊当初からの両誌をざっと眺めてみた印象にすぎませんし、何もかも全てが同じというわけではもちろんありません。しかし、どちらも表紙が少女スター、どちらにも人気スターのグラビアページがあり、作品は違うものの人気作家がどちらにも漫画を描いている、どちらのふろくも流行を忠実に再現したもの…… どうも似たような印象を抱いてしまうのです。同じものを追い求めているのだから、そうなってしまうのは自然なことなのでしょうか。

 しかし、世の中で流行っているものを両誌で共有する、この時代が終わりを告げるときがついにやってきました。それは昭和45年前後のことになります。

 決定的な要因に、各出版社が設けた新人賞からデビューした若手作家が活躍しはじめ、作家の数が増えたことがあげられます。『りぼん』の集英社からは一条ゆかり先生、『なかよし』の講談社からは里中満智子先生など。これでようやく、人気作家を両誌で奪い合わなくてもよくなり、様々な作家が描いた、様々なジャンル、テーマの漫画が読めるようになりました。
 これを受けて、『マーガレット』『少女コミック』『少女フレンド』など、漫画を読ませるための雑誌が次々と創刊されます。少女漫画が世間に広く認知されるようになったのはよいことなのですが、それと同時に『りぼん』『なかよし』も互いに差別化をはかる、すなわち各々のキャラクター(=持ち味・個性)をはっきりさせる必要に迫られました。表紙がイラストに変わるのも昭和45年ごろで、両誌は本格的に漫画雑誌としての道を歩むことになるのです。それから昭和50年代までの約5年間は、昭和48年ごろのスターブームをはさんだ、各誌の「移行期間」でした。ただし、ふろくが完全にキャラクター(=連載漫画の登場人物)グッズで埋められるようになるまでには、まだ時間がかかるのですが。

 ファンシーショップや市販のキャラクター雑貨が少女の間に普及してきたのもこのころです。昭和41年に原宿キディランドとソニープラザ銀座店が、昭和46年にサンリオギフトゲートが新宿にオープン。世間に出回る雑貨の種類がこれまで以上に豊富になったことで、ふろくのアイデアやデザインにもバリエーションが増えます。

 さらには昭和45年に『anan』(マガジンハウス)、昭和46年に『non-no』(集英社)など女性のファッションやライフスタイルを提案する雑誌が登場。身につける物や持ち物で自己主張、まわりとちがった自分をアピール、という時代の流れも、雑誌とふろくのキャラクター(=持ち味・個性)化を後押しするものの一つにあげられるのではないでしょうか。

 漫画だけでなく、世界名作・お勉強・スター・おしゃれ・バレエ・皇室…… 少女の夢やあこがれの世界をそのまま詰め込んだ宝石箱のようだった少女雑誌。その表紙から少女スターが姿を消したとき、少女雑誌は漫画雑誌となり、ふろくも新しい時代への第一歩を踏み出したのです。
 世の中の流行や少女たちの好きなものをそのまま表現したふろくから、それをベースに雑誌独自の持ち味を加えたキャラクターグッズへと変化しつつある少女“漫画”雑誌のふろく。
 それはさながら、野に咲き乱れる花の群れがそれぞれの庭師の手で、趣向を凝らして手入れした花園へと造りかえられていくかのよう。

 すぐそこまで来ている昭和50年代、「キャラクター時代」の花園は私たちにどのような姿を見せてくれるのでしょうか。

 次回からは昭和50年代の少女漫画雑誌とふろくについて


2004年3月8日更新
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11.あの先生のグッズがほしい
10.ニュースとふろく 昭和30・40年代
9.スターはいつまでもスター
8.遠い世界に思いをはせて
7.ステキな衣裳を着てみたい
6.気分はバレリーナ
5.おしゃれ小物
4.ふろくでお勉強
3.別冊がいっぱい
2.『りぼん』『なかよし』が生まれた時代
1.ふろくって何?


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