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善光寺串間努

第1回「牛にひかれて善光寺参り」の巻


 レトロスポットを訪ねて東奔西走するこのダジャレ企画、まず第1回目は「どりこの饅頭」を訪ねて、長野県は善光寺に行ってまいりました。「どりこの」というのは戦前の講談社(大日本雄弁会講談社)が発売していた高速度滋養飲料で、現在のファイブミニだとかアミノバイタルなどの機能性飲料のはしりであります。古書を買うかたなら、講談社の雑誌広告で「どりこの」の四文字をみたことがおありかと思います。レトロ好きとしては欠かせないキーワードである「どりこの」を冠につけた饅頭とはいったいどんなものでありましょうか?

 ●善光寺門前商店街へ

 『門前商店街』という言葉があるか知りませんが、神社仏閣の参道にいならぶ商店街を便宜的にこうよぶことにします。中澤時計本店古来から名刹としてしられる神社仏閣は観光スポットであり、そこに足を向ける人々に対してお土産屋さんや団子屋さんなどが出店してきました。その伝統を平成に継いでいるわけですから、店構えや物販しているモノはレトロもレトロ。懐かしさ大好き人間にはホッとできる憩いのエリアです。
 長野駅を降りますと、表参道である中央通りがずっと善光寺まで続いています。これをまっすぐ2キロ進めば突き当たりますので、どんな方向オンチでも間違うことはない。これで迷ったというヒトがいたらここに連れてきてもらいたい! と居直れるほどであります。
 一番最初に表参道右側のスーパーが目にはいりました。地方にきたときには私はかならずスーパー、しかも地元資本がやっているような店に入ります。売っているものが私が住んでいるところのものとは違うからです。地方色とそこの店主の品揃え意識が見えて面白いのです。むかし、千葉にあるヤックスというスーパーは、清涼飲料の売り場をカラーリングしました。赤系のパッケージの缶を縦に揃え、となりに黄色系を揃えと、売れ筋を全く無視して、缶の色で統一した棚構成をしたのです。いうなればスーパーの陳列棚はオーナーの芸術作品です。このスーパーにも「蜂の子」「ザザムシ」の缶詰がありました。貝の缶詰も種類が豊富です。清涼飲料が安いのでここで500ミリのペットボトルを98円で購入しました。
 すぐ先に西光寺があります。浄瑠璃や謡曲で有名な「刈萱道心と石堂丸」の刈萱上人が開いた寺です。私は詩吟をやっていたので「石堂丸」の話をしっており、感慨深いものがありましたが知らないヒトには「あ、そう」てなところです。要は、蒸発した武士が高野山で修業していたところ、子どもが訪ねてきて、わが子と知りながら父と名乗らず橋上で分かれるという話です。

ミニ文具博物館 この中央通りの商店街は町おこしのためでしょうか、ところどころのお店のショーウインドウがレトロ商品の博物館になっております。時計博物館・カメラ博物館・文具博物館・くすり博物館など12箇所の博物館が点在しています。ただし博物館といっても、入場料をとり、学芸員がいるような博物館ではないので、過度な期待は禁物です。あくまでもショウウインドウに古いものが陳列されているだけです。
 博物館街の最後が「農民美術博物館」。この対面にあるのが、ご本陣藤屋という旅館です。私が行ったのはゴールデンウィークで、たまたま中に自由に観光客でも入れるようになっていました。3階建木造建築のこの洋館には、乃木大将も泊まったそうで、有名人の揮毫がたくさん飾られています。大正12年以来のトイレや階段もとてもレトロでステキでしたが、便所の内部は感動するほどではありませんでした。1階には大正ロマンの晋平ホールというのが設けられていて、コーヒー1杯350円を女給スタイルのウエイトレスさんが持って来てくれます。こちらは雰囲気はサイコーです。ホテルマンというか、ホールにいる年配の係員のかたたちはあまり愛想がありませんでしたが、こちらはお金を払って泊まっている客ではないので、何もいえた筋ではありません。劣等感と被害妄想がヒドイ私には、こちらを瀬踏みするような眼差しが「田舎者の分際でこんな由緒ある旅館にくるな」といっているような感じがして、「なにを! おまえのほうが田舎者じゃ、この因業じじい」と心のなかでそっと口喧嘩を繰り広げるのでした。ほとほと因果な性格でございます。
お守り自販機

 ●お守り自販機にビックリ

 いよいよ仁王門をくぐって、仲見世に入ります。宗派を問わない善光寺です。仏壇・仏具を扱う専門店も軒を並べています。地元名物の蕎麦まんじゅうやおやきを販売するお土産屋も立ち並んでいます。
 門の側には鳩のエサ売りおばあさんが2人、たたき台を出しています。ちんまりと毛布をかけて正座しているおばあさん。エサだけ売っていて、生活はなりたっているのか心配になります。境内には煙草の自販機のような、お守りの自動販売機があるほどのハイテク善光寺ですから、エサの自動販売機を導入するにも躊躇しないでしょう。ちょうど、お釈迦様への甘茶かけをやっていたので、私も2杯ほど掛けさせていただきました。なんのこともありませんけれど。
 本堂に向けて歩いていくとおじさんのガイドさんが結構目につきます。大声で身振り手振りで引率してきた観光客に説明をしています。おそらく、バスガイド同乗なしのバスツアーに向けて、お土産屋の主人がやっているサービスでしょう。ボランティアで説明しても、観光客が帰りに自分の店に寄ってもらえば売り上げが上がるのでいいわけです。
玄証院

 ●ジモティーに聞いて大当たりのそば屋

 お参りしたあと、さてめしでも食べようかと思いたちました。ところが門前にはそば屋がたくさんあって、どこがどうだかよくわかりません。わからないときは地元のヒトにきくが一番だと思って、駐車場で整理にあたっているオジサンに尋ねてみました。
 「どこがうまいですかね」
 「後ろの交差点、むにゃむにゃ…」とオジサンが正面をむきながらも目はそっぽを向いて答えます。いってることもよくわからない。たまに右手をチョコチョコと動かします。何の合図なんでしょう?
 「あの、おいしいそば屋さんを探しているんですけど、どこがいいでしょうか」はっきりと聞こえるように明瞭に発音しました。
 「(前回と同じ)」
 うーむ。この押し問答を3回くらい繰り返してわかったのは、このオジサンはこちらになんとかして教えようとしているんだけど、同僚や上司の耳があるのでごまかしているんだといういうことでした。おそらく特定の店を公的立場の人間(観光協会なり)が教えてはいけないという決まりがあるのでしょう。そのため、捕われたスパイが、敵の見張りをかいくぐって、助けにきた味方に情報を教えるような会話になってしまいました。そこでこちらが、助け船をだして「後ろの信号を右折してずっと坂を降りていくと、左側にそば屋があって、その先を行くと駅なんですね」と確認しますと、オジサン、得たりとうなづきます。
 その店は参道や仲見世からちょっと離れたところにありました。ホントにうまい店は裏道にあるのですね。名前はK亭としておきます。天皇も食べにきたと壁にかいてありますから有名は有名なのでしょう。創業100年で、サッポロビールの美人画ポスターが店内に張ってあるレトロなお店です。「天もり」と「天ざる」が名物らしいのですが、前者が900円と手頃なのに対して、後者は2200円もします。もりとざるの違いは海苔のありなしだけですから、天ぷらの盛り合わせが違うのでしょうか? 安いほうの天もりを頼みましたが、かぼちゃ、山菜、えびと、満足いくものでした。そばも手打ちぽくなくておいしいです。実は私は手打ちのそばやうどんが大きらいです。コシがあるそばやうどんは「固い」としか思えないのです。それに手打ちの店ではそばは黒っぽくて、太さがまちまち。工業製品のように同じ大きさに切れとはいいませんが、きしめんの2倍くらいある太さってのはどうよ? 何本もくっついてしまって粉がだま状になってそばがきを食っているみたいのもあるし。白い更級系が私には全粒使用の田舎そばは口に合わないのです。みなさん、本当に手打ちそばの硬さ、黒さをおいしいと思って食べているんですか? あー腰がなくて、伸びてしまったそばが食いたいなあ。

 ●どりこの焼

 そば屋K亭はそんなに腰がなくて、よかったよかった満足じゃ。
 店を出てから善光寺の宿坊を何軒か見学しすると、レトロ気分が江戸時代くらいまで戻りすぎてしまったので、どりこの饅頭を見て、昭和に進むことにしました。
どりこの焼の店
 どりこの焼ののれんがひるがえる店は中央通りを歩いて駅に戻るとすぐにわかりました。昭和通りの手前です。ちなみに昭和通りと中央通りの交差するところは、日本ではじめてのスクランブル交差点です(昭和46年設置)。
 さあ、どりこの焼について知ろう。ところが、いきなりトラブルが勃発!
 私が入る直前に、のれんをくぐって出てきた男性観光客が一度戻ってくると、店主と口論したあげくにどなって出ていってしまったのです。いったい何があったのかわかりませんが、店主はトラブルに遭遇して平常心ではありません。ちょっと取材したかったのですが、そんな雰囲気ではありません。
 店主は店頭でどりこの焼を焼きながら、店内で氷いちごをほおばっている奥さんらしきひとを振りかえって「なんなんだよなー」と立腹しています。
 ヒトが怒っているときに話しかけるのは難しい。しかし電車の時間もない。
 「すいませんどりこの焼2コください」
 「あんにする? 野菜にする?」
 あんを二つ買って150円でした。それでもなんとか聞いてみようと、
 「これ『どりこの』が入っているんじゃないんですよね?」と問うと、
 「どりこの焼の由来? さあ。オヤジが始めたんでわからないんだよ。昭和5、6年からやっているようですよ」
 心にさざなみが立っている。それでも誠実に店主は答えてくれた。
 取材ができなかったので「どりこの」について説明しよう(インターネットでは初公開の情報だ。たぶん。現在、グーグルでどりこの検索をかけると1130件でてくるが、ほとんどが「おどりこの服」である)。
 講談社の創業者である野間清治氏は昭和5年に報知新聞の社長に就任しました。戦前の講談社は薬などの業務多角経営化を進め、昭和4年の「アイリス石鹸」に続き、とうとう飲料まで発売することになったのです。それが軍医だった医学博士高橋孝太郎氏の発明になる高速度滋養飲料どりこのです(特許名を調べると「含糖栄養剤」になっています)。このどりこのを社長の息子の恒君が飲んでいたことが縁になったのです。どりこのはブドウ糖・アミノ酸を主成分としたもので、虚弱体質や腺病質のひとに効果があります。5倍に希釈する濃縮飲料で1びん1円20銭で全国の薬局で発売していました。当時、年に100万本は売れていたそうですが、戦争が厳しくなったため、台湾からの砂糖輸入ルートが途絶されたので、砂糖が経済統制され、原料の供給難のために昭和19年で製造中止になりました。
 「どりこの」というユニークなネーミングは開発に関わった人々の名前に由来します。「どり」は共同研究者だったドイツ人のイニシャルから、「こ」は孝太郎、「の」は助手の野口からとられているのです。
どりこの焼高橋博士はどりこので大もうけし、「どりこの御殿」があった田園調布(多摩川駅東側)にはいまでも「どりこの坂」が残されています。
 どりこの焼は今川焼きの小型版という感じで、なかなかおいしいものでした。

●書きおろし


2002年6月11日更新
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