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「怪獣」タイトル

鴻池綱孝

〈第十三夜〉 運命の塔


 昨年暮れ、『太陽の塔』と対峙して建つ、もうひとつの塔『エキスポタワー』の解体工事がはじめられた。次いで『万博美術館』が、さらに廃墟状態で倉庫化していた、(と、いうより物置。太陽の塔、内部の展示品等が放置してある。)『鉄鋼館』があとを追う事に決定している。


太陽の塔
太陽の塔:1982年に筆者撮影。12年ぶりの再会だった。太陽の顔の陶板が、売店でたったの100円(開催時定価500円)で売り捨てられていたが、買う人もいなかった。(僕は買ったけど‥)

 この写真の『太陽の塔』は1982年時に撮影したもので最高潮に汚れている。12年前の「高度成長まつり」(第十十一夜参照)のことなど、もう誰も振り返ることなく、完全に過去の遺物化してしまっていた頃の痛々しい姿だ。コンクリートの肉痩せからか、セルライトを想わせる段々腹。水垢よごれ。目からは黒い涙が流れているではないか。

 万博閉会後、永久保存が決定されたにもかかわらず、この頃になると、保存修復にかかる巨額なコストの面から、取り壊しの意見も出てきた。修復か解体か。太陽の塔にとって暗黒の時代であった。

 一方、岡本太郎といえば万博以降、全国各地からの申し出により、パブリックアートを精力的に制作していた。1976年のロバートブラウンのCM出演時の名台詞、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」は流行語となり、さらに「芸術派は爆発だ!」をきっかけにテレビへの露出は増えていった。お茶の間はその変人ぶりを見て嘲笑していたが、もちろんそれは彼のサービス精神に満ちたパフォーマンスであったことは言うまでもない。

 「塔」が復活(ビジュアル的な意味で)するのは、万博閉会より実に24年後。修復工事の時となる。1993年3月に竣工、1年の歳月と3億円あまりを投入し修復工事をおこない、翌1994年に完成をみた。

 そして、復権(作品的な意味に於いて)するのは、1996年、岡本太郎の死去の時と、2000年の万博30周年記念行事のときだった。

岡本太郎を笑い、塔を不要とする人々は、いまだ、いるのだろうか?


エキスポタワー
エキスポタワー:この頃はまだ、登ることも出来ただろうに、行かなかったのが悔やまれる。合掌。

 『エキスポタワー』の消失によって、万博の記憶(物証)がまたひとつ消えていく事になる。かつて銀色に輝いていたこの塔も、その後は航空法に基づいたインターナショナル・オレンジとホワイトに塗り分けられ、格を下げていた。万博閉会後、四日市に移設された『オーストラリア館』のように、煤けた郊外施設として、ホルマリン漬けにされた恐竜のごとき醜態をさらし、生かされていることを想うと、今回の「解体」に対する気持ちも少し変わってくる。遅すぎた「撤収」と受け取りたい。「TOWER OF EXPO」は今も昔も『太陽の塔』ただ、ひとつなのだから。
守は一人いれば良いのではないか‥

つづく‥


リニア・モーターカー
リニア・モーターカー:この頃はまだ記念館も広く、気のきいた展示もしていた。リニア・モーターカーまであったのだから。

2003年1月20日更新
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〈第十二夜〉 わたしのモゲラ様(投稿文)
〈第十一夜〉 怪塔、現る(part2)
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〈第九夜〉 すべての怪獣ブーマーへ告ぐ!
〈第八夜〉 大魔神の学習
〈第七夜〉 「レッドキングでダダ」
〈第六夜〉 マルサン商店『エビラ』『アントラー』『ガボラ』登場
〈第五夜〉 セメント怪獣
〈第四夜〉 マルサン商店『ウルトラマン』登場
〈第三夜〉 マルサン商店『ゴジラ』登場
〈第二夜〉 『マイ・ファースト・ウルトラマン』
〈第一夜〉 増田屋「ウルトラQ手踊り」『ペギラ』『ゴメス』登場


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