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英語通信講座
高等講義録中学講義録
中学講義録高等講義録
第14回
「懐かしき「講義録」の世界」の巻

向学心を満たす

 いま、定年を控えたシルバー世代が、そのつちかってきた実力を背景に企業にとって重要な労働力となりつつあり「ニュー金の卵」と呼ばれていることを朝日新聞でしった。
 彼らの多くは、集団就職列車で日本列島の隅々から上京してきた、別称「金の卵」たちであることを思うと感慨深い。家計のために進学を断念して就職したものは、夜学(夜間高校)に通学したり、「早稲田大学講義録」や通信添削を用いて、日本の学歴社会のなかで刻苦勉励の努力を行ってきた。以来四十数年の星霜を重ね、再度「金の卵」と呼ばれようとは予想もしなかっただろう。
 日本人は勤勉な国民性なのか、勉学への意欲が旺盛だ。旧制中学への進学率は昭和十五年で七パーセント。明治大正時代から、向学心がありながらも「路傍の石」の主人公山田吾一のように丁稚奉公に出されるしかない子どもがいた。少年たちのあるものは現状の立場に甘えることなく、官吏や鉄道員などを目指し立身出世街道を歩くための通行手形として「中学講義録」というものを取り寄せて「独学」を行った。当時の少年雑誌の広告で特に有名だったのが駿河台に本部があった「大日本国民中学会」であった。明治三十五年にスタートした『憲政の神様』と称された尾崎行雄が会長で、中等教育の通信教育機関としては当時唯一の存在だった。「新潮」を創刊したてで広告を同会に貰いに言った佐藤義亮社長は、会主の河野正義氏に気に入られ、ここの出版の手伝いをしていたこともいあるという。昭和十三年に同会は倒産しているが、この建物の5階にのちの『駿台予備校』の前身の『駿台高等豫備學校』が間借りしていたことが話題になることはいまでは少ない。
中学講義録の需要は大きく、『大日本国民中学会講義録』と『早稲田中学講義録』の会員を合わせただけで、大正末期には三六万人もいた。対して旧制中学校の生徒は二九万人であった。

中学全科講義録
中学講義録

講義録とはなにか

 講義録は早稲田大学が明治19年に発行し、校外生の便宜を図っているのが最初の試みと思われる。講義録といえば「早稲田講義録」という代名詞にもなったように戦前に早稲田講義録で学んだものは二七〇万人にものぼる。
 講義録が生まれたのは日本の学問の体系がまだ確立していないという事情からだった。明治時代の前半、高等教育における教育は欧米の学問に拠っていたため、日本語で書かれた教科書はまだなかった。そのため、「講義録」という、教授の講義をそのまま筆記して印刷したものを教科書代わりにしたのである。書店で一般販売されるものではなく、購読者から代金を受け取り、質疑応答もできるものであったというから「通信教育」のさきがけである。実際、早稲田の校外生は講義録によって勉強して卒業試験に合格すると、校内生に編入できる制度があったという。
 
 大学講義録は向学の気持ちを持ちながらも上京できずにいる全国の青年にとって、出世の可能性とつながる細い糸であった。私立大学の大半が講義録を発行しており、売上は安定経営の一助になっていたほどだという。
 大学講義録、中学講義録が好評であったため、井上英語講義録や電気講義録、囲碁講義録など各種の講義録(通信教育)が出始め、昭和十八年には全国に二八〇種類の講義録があったという。

井上英語講義録
中学講座

期待されない青少年

高等通信教育 私ごとで恐縮だが、二〇年間卒業できずいまも私は大学の通信教育を受け続けている。最初に入学した大学を家庭の事情で1年で退学、しかしどうしても大学で学びたかったため、通信教育を受講した。働きながらレポートを提出し試験を受け、真夏の炎天下に体育や英語の授業を受けるのは肉体的にも会社の休暇的にも苦しい。昼間の大学では出席さえすれば寝ていても単位が取得できる授業があるらしいが、二部や通信ではそんなことは考えられない。根性があり、勉学を遂げてきた可能性が高いのは一流大学卒業生ではなく、二部学生や大学通信教育の卒業生のほうであると、就職人事に関わる人々に私は訴えたい。
 
 さて、昭和三十三年で早稲田講義録は終了、現在では講義録という名前すら廃れている。高等教育の内容が高度になったためと、富裕層が増加して進学率が上がったためである。実家・ふるさとの概念が薄れているため「名を挙げ身を立て」「故郷に錦を飾る」必要もないのだろう。立春出世の輿望を双肩に担わされることは少なくなっている。

 病気や貧困のため進学できなかった時代は、むさぼるように知識を講義録によって吸収する青少年が見られただろう。「高校全員入学」時代のこんにちにでは不登校や不良化による退学などが問題視されている。貧困と富裕。いったいどちらが良い時代であるのかわからなくなりそうだ。「家貧しうして孝子現われる」ということばが身にしみる昨今である。

まづ就職!!
受験と就職・マジメな良書

【参考】
天野郁夫「大学講義録の世界」『放送教育開発センター研究報告』1994、67
菅原亮芳「中学講義録の世界」『放送教育開発センター研究報告』1994、67

「小さな蕾」を改稿


2005年6月2日更新
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